最後に
しばらくの間ブログを休んで考えていましたが、どうも自分には向いていないんじゃないかとの思いに至り辞めることにしました。
今まで自分のブログを読んでご反応頂いた方々ありがとうございました。
ただこの交流の記録は残しておきたいので削除はしないつもりです。
また気が変わって再開したくなる時があるかもしれないので念のため残しておきます。
今度は自分のことを語る日記ではなく、何かしらのテーマ(例えば哲学について)を持ってやれれば面白いんじゃないかなとも思っています。
最後に一つだけ自分語りを許してください。
もしかしたら自分の体験談が同じような悩みを抱えているどなたかの助けになるかもしれないので。
私は精神病を患っていて、心療内科に毎月1回通院していて、朝昼晩服薬しています。
病名は双極性障害です。
双極性障害とは、簡単に言うと、自分ではコントロールできなくなるほどハイテンションになって活発になり(躁状態)、その反対に全く別人のようになって元気がなくなってしまう(鬱状態)病気です。
躁状態になると、私の場合、自分が何でもできるような万能感に包まれ、脳は冴え渡り、難しい本が不思議なくらいスラスラ読めてしまったり、お金づらいが荒くなったり、多弁になって周りを笑わせたり(自分一人での思い出し笑いもこの時は頻繁にします)、何でもないようなことに心が震え感動して急に涙が溢れ出したり、本当に人生はなんて素晴らしいんだと思えます。
ところが一変、鬱状態になってしまうと、今までの快調さはどこに行ってしまったんだというくらい真逆の状態になり、人間が変わったようになります。自分は何てダメな人間なんだろう、周りに申し訳ない、将来が不安だ、何もやる気がしない、本も読めない、布団から出たくない、仕事に行きたくない、人とも会いたくない、隠れてしまいたい、できればこのまま死んでしまいたいとの思いが頭をよぎります。
気分の変調は誰しもあると思うのですが、その波が異常なまでに激しく強いのが特徴です。
私がこの病気を発症したのは大学生の頃で、その当時日本ではまだ双極性障害(躁うつ病)という病気が一般的ではなかったので、私はうつ病と診断されました。
抗うつ剤を飲んでいましたが、今思い起こせば理由はわかりますが、うつ病なのに異様に元気になる時がありました(抗うつ剤が効きすぎて躁転してしまっていた)。
自分は二重人格なんじゃないかと真剣に悩んだ時期もありました。
薬よりもむしろ酒が慰めになりました。
酒で人生のストレスを発散できているように思えたのは確かなのですが、酒の量はどんどん増え、ビール、日本酒、焼酎、ウィスキーと酒の強さもどんどん増して、ついにはアルコール依存症になっていました。
双極性障害で一番怖いのは躁状態の時だと思います(本人的に苦しいのは鬱状態の時)。
自分一人でハイテンションになっている分にはほとんど問題ないのですが、”周りの人間”が関係してくるとこの躁状態はとても深刻な問題を引き起こします。
人によっては性的放縦になったり、借金を何百万と抱える買い物をしたり、傷害事件を引き起こしたりするそうです。
私の場合、この躁状態で深刻な問題を引き起こしのたは、会社での人間関係のトラブルでした。
躁状態の時には活発になると書きましたが、同時に他人に対して”攻撃的”になります。
この攻撃性が躁うつ病の最も怖いところで、一番難しいところだと個人的には思っています。
会社でどうしても納得いかないことがあると上司であろうとアツくなって反論していました。
私には反論に思えたのですが、向こうからすれば反抗(会社の意に従わない)に見えたのかもしれません。
口調も興奮してキツかったと思います。
会社組織では上司に反論(反抗)する部下は嫌われます。
嫌われるだけならまだしも、居場所を奪われます。
私の場合はそうでした。
会社組織に自分は向かないと思い、今は脱サラして単身赴任で実家の田舎で家業を仕事にしています。
家族だと自分の病気を理解してくれるので助かります。
もしあなたがこの病気を患っていて会社組織に頼らざるを得ないなら、できることならばこの病名を会社に早めに告げて、自分の病状を理解してもらう方がいいと思います。
私自身も自分の病気をもっと早くに理解して自覚し、病気のことをちゃんと周りにも伝えていれば、退職に追い込まれるほど人間関係をこじらせなかったかもしれません。
ただ、日本では精神病に対する偏見が強いので、告白するには勇気と覚悟がいるのも事実です。
精神病を抱えて隠しながら会社に行かざるを得ないことは本当につらいと思います。
今、私は躁の予防薬としデパケン、抗不安薬としてデパス、興奮状態がひどい時にはリスペリドン、うつがひどい時にはラツーダ、眠れない時には睡眠薬サイレースを飲んでいます。
特に副作用はなく、薬も自分にあっているような気がします。
自分にあった薬を探すのには長い時間かかりました。
主治医もいろいろあって何回か変えましたが、今の先生が一番いいです。
先生と合わないと思うなら、もし近くに別の心療内科があれば色々と試してみるといいと思います。
決まった時間に起きて、決まった時間に仕事を終え、決まった時間に眠るという生活リズムを安定させることは大事だと思います。
断酒にも3年前に成功したので(アルコールをやめることはこの病気の場合必須です)、今は比較的安定した生活を送れています。
この病気は一生治らない病気だとわかっているので(ただ症状が落ち着いた状態が続く"寛解"はするそうです)、自分の病状を自覚して(あっ今自分は躁気味だ気をつけないと、逆に今はうつ気味だしばらく寝ながら待っていようと、自分で自分の状態を自覚できることが一番大事なような気がします)、精神薬を利用して病気とうまく付き合っていこう(再発リスクがかなり高い病気なので薬は飲み続けた方がいいそうです)と思えるようになりました。
今はとにかく無理をしないように心がけています。
あなたの人生が落ち着いたものになるのを心より願っています。
書けない
ことばが出てこない。
疲れたのかも。
ちょっと休みます。
父親としての自分
ブログを通して他のお父さんお母さんとのつながりもできたので、あまりこれまで見せてこなかった父親としての自分についてもちょっとお話ししたいと思います。
これが交流のきっかけになればうれしいです。
父親としての自分を一言で表すなら"教育パパ"です。
地方の進学校から、関東の某国立大学に進学しました。
受験勉強が全く苦じゃなく、むしろゲーム感覚で楽しんでいました。
地元に帰って予備校講師(英語科)を10年くらいやっていました。
生徒たちが自分の志望大学に向けて一生懸命努力する姿は純粋そのもので、自分の青春を眺め返しているようで至福な経験でした。
とある事情で転職して全く違う業種で今は働いていますが、やっぱり勉強は好きなので、今は3人いる子どもたち(長男:中学2年、次男:小学6年、三男:2歳)に教えています。
あと長男が中学校の野球部に所属しているのてすが、彼の試合を観戦に行くのも好きです。単身赴任先から帰省した時にはいつもバッティングセンターに連れて行きます。
インドア派なので休みの日はゴロゴロ寝っ転がって哲学書読んでます。長い休みは嫁のドライブに付き合わされています。ちょっとは人の話聞きなさいよと車の中でよく怒られます。
今日は軽めに父親としての自分の自己紹介をして、たまに父親をテーマにしたブログもアップしていこうと思います。
そのテーマも好きなので。
つながることの喜び
ブログを始めて2週間くらい。
いつのまにかブログが生活の一部になっていた。
書くこと自体も楽しいのだが、誰かのブログを読むことも楽しい。
ブログを通して個人的なつながりができた人たちのことは、特に気になる。
その人たちは今日はどんな文章をアップしてくるんだろう、と待ち遠しい。
スクリーンの向こう側にいるその人たちのことに関心を抱いている。
バーチャルでありながらリアルでもある、ある意味リアルよりもリアルな、こういう人間のつながり方もあるんだなあと思った。
時代遅れなのか、全くこういう存在を知らなかった。
いや、知識としては知っていたが、それを通して心の交流ができることの価値を実感できていなかった。
リアルな空間の限定性(=実世界の人間関係はいろいろ面倒)に束縛されない、でもリアルな空間をある程度反映している(=ブログ世界にも実世界の礼儀は必要)、ゆるやかな人間関係ができあがるバーチャルな空間、それがブログの世界だと思う。
あっ、難しいことばを使って説明しようとする哲学癖が出てる。
とにかくあなたのブログを楽しみに待っています。
マイノリティ
あままこさんのマイノリティに関する最新記事は多くの気づきを与えるものだった。
女性下着ブランド代表の発言を題材にして、マイノリティであるとしてある集団をひとくくりにしてしまうことの罠(誤解、真相を捉えていない、無理解)と、マイノリティとされる人々が実は内部で激しい対立と空中分解をしてきた歴史が指摘される。
私が学生だったころは、フェミニズムが日本でも注目を集めていた時期で、女性が社会を変えるんだという熱気と女性同士の連携感は非常に強かったと思う。
あれから25年、女性であるというただ1つの属性でひとくくりにできないほど女性自身の価値観は多様化複雑化した(もちろん男性も同様、LGBTQの方も同様)。
あままこさんの結論は個人個人をよく見ようということだった。
それはそうだと思う。
「あなたは女だから〜」「あなたは男だから〜」「あなたは<属性X>だから〜」というフレーズの抑圧的な響きに嫌な思いをし、自分は違うのにと思ったことはほとんどの人が経験してきたに違いない。
個人個人を見ましょうという結論にもう一歩踏み込んだ私見を述べると、私としては価値相対主義(個人の好みは個人の勝手でしょ私を放っておいてよ)では、社会共同体が空洞化してしまい、人とのつながりがますます失われ、社会が弱体化するとともに、逆反射的に個人も弱体化していくのではないかと思う。
難題であるのは百も承知で言うのだが、共有できる価値観を新しく再構築する必要性のある時代に来ているのではないか。
じゃあその価値観は何か、と問われれば自信のある答えは出せないが...勉強不足です。
ただ、昨今の世界情勢を見て、価値相対主義はそろそろ終焉させるべきではないかとの思いを強くしている。
純日記のスタイル
ひと口に純日記といってもいろいろなスタイルがあることに気づいた。
その日にあった事実を羅列して書く人もいれば、生活の一コマを掘り下げて書く人もいれば、恋人との暮らしを書く人もいれば、仕事のことを書く人もいれば、子育てについて書く人もいれば、宗教の説法を書く人もいた。
自分はどういうスタイルで書いているんだろうって自分のものを読み直してみると、自分にとって新たな気づきがあったことを主に書いているようだ。
ブログ自体が新たな気づきだったし、インスタもそうだし、久しぶりに会う子どもたちもそうだし、自分語りも他者の目を通した自分への新たな気づきだったのかもしれない。
私の純日記のスタイルは、私にとっての気づき(発見)が軸としてあるように思う。
使いやすい
他のブログは試したことがないから、自分で比較したわけじゃないけど、おすすめサイトにシンプルさでははてなブログって書いてあったので始めたら、本当に使いやすかった。
ブログ開設の設定ももう何をしたのか忘れるほど単純だったし、長い文章が書きたかったらWeb経由でノートパソコンを使えばいいし、軽く書きたいんだったらスマホのアプリからも投稿できるし、あとWebとアプリの連携がしっかり機能しているのはとても使い心地がいい。
まだ経験はしていないが不快なコメントは削除でき、そういう輩は書き込み拒否設定できるというのも安心できる機能。
ブログ初心者にも関わらず自分の文章が誰かの目に留まるってのも、技術力の高いエンジニアさんたちが裏でうまくプログラミングしているんだろうなって思う(どうやって自分の文章が他の方の目に留まったのかが不思議でしょうがない)。
あとはてなブログコミュニティの存在も大きい。スクリーンの向こう側に実際の人間がいることを感じられる。
はてなブログは使いやすい。
インプット脳が働かない
ブログを始めて、ちょっとおかしな現象が起きた。
哲学書がなんだか読めなくなってしまったのだ。
内容自体が難しい内容なだけに、もともと読むのに一苦労していたのだが、ブログを始めてなんだか読むことに集中していられなくなった。
私は一つの仮説を立てた。
今まで自分の中に吸収しようとするインプット脳ばっかりを使っていたから、急に自分の外へ排出しようとするアウトプット脳を使い出したので、脳が混乱しているのではないか。
脳の切り替えがうまくいっていない感じがする。
最近ブログのことが気になってしょうがない。
禁断のリンゴを食べてしまったか。