マイノリティ
あままこさんのマイノリティに関する最新記事は多くの気づきを与えるものだった。
女性下着ブランド代表の発言を題材にして、マイノリティであるとしてある集団をひとくくりにしてしまうことの罠(誤解、真相を捉えていない、無理解)と、マイノリティとされる人々が実は内部で激しい対立と空中分解をしてきた歴史が指摘される。
私が学生だったころは、フェミニズムが日本でも注目を集めていた時期で、女性が社会を変えるんだという熱気と女性同士の連携感は非常に強かったと思う。
あれから25年、女性であるというただ1つの属性でひとくくりにできないほど女性自身の価値観は多様化複雑化した(もちろん男性も同様、LGBTQの方も同様)。
あままこさんの結論は個人個人をよく見ようということだった。
それはそうだと思う。
「あなたは女だから〜」「あなたは男だから〜」「あなたは<属性X>だから〜」というフレーズの抑圧的な響きに嫌な思いをし、自分は違うのにと思ったことはほとんどの人が経験してきたに違いない。
個人個人を見ましょうという結論にもう一歩踏み込んだ私見を述べると、私としては価値相対主義(個人の好みは個人の勝手でしょ私を放っておいてよ)では、社会共同体が空洞化してしまい、人とのつながりがますます失われ、社会が弱体化するとともに、逆反射的に個人も弱体化していくのではないかと思う。
難題であるのは百も承知で言うのだが、共有できる価値観を新しく再構築する必要性のある時代に来ているのではないか。
じゃあその価値観は何か、と問われれば自信のある答えは出せないが...勉強不足です。
ただ、昨今の世界情勢を見て、価値相対主義はそろそろ終焉させるべきではないかとの思いを強くしている。