力について
ちょっと刺激的なことを書く。
暴力の前でやっぱり言論は、無力とまでは言わないけど、弱いと思う。
ありていに言えば、ことばだけの美談家はネット世界でことばの言い合いで相手をこきおろせても、筋骨隆々のヤクザには現実世界でケンカになった時にかなわない。
朝倉未来が主催する格闘技大会のオーディションで、10人とケンカして勝ったことがあると"ことば"で豪快に言い放った若者がいた。
じゃあ、その若者を10人のヤンキーで囲んでみたらどうなるか、という企画だった。
全然話にならなかった。
じゃあ、朝倉未来だったらどうか。
彼には力(=暴力)があった。
10人相手にしても、キレのある動きで相手の攻撃をかわしながら、自分のパンチで多勢の相手を完全に圧倒していた。
一人のヤンキーが「未来さんの圧、半端ないから踏み出せなかったすよ」って言っていたのが印象的だった。
だいぶ論理を飛躍させるが、私たちは暴力(犯罪者集団)に対抗する暴力(警察/軍隊)の上でことばを交わせる平和を享受できている。その暴力、特に後者の暴力性と威圧性は普段は見えない。
暴力に対抗する暴力は必要だし、後者の暴力への敬意が日本では欠けているように思う(アメリカ人の軍人への敬意の高さは肌身で感じた)。
しかし、後者の暴力も暴力であることには変わりがない。
そこに"正義"というイデオロギー(私はここでは信念くらいの意味で使っている)を絡めるから、話しがややこしくなる。美談家はこのイデオロギーの"議論"が好きなだけだ。
力に対抗できるのは力だ(国連の無力さを我々は今この目で見ているはずだ)。
誰かが言った「力なき正義は無能なり」は真実だと思う。
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