空港で
勤務先に戻ろうと思って成田空港に向かっていたら、高速道路の降りる場所を間違えてしまい遅刻。
早速やらかした。
幸い次の便が空いていたので、仕事に支障はなく済んだ(お金は無駄にしたが...)。
出発まで時間があるので、だらだら日記でも書くことにした。
時間つぶしにもこの純日記は役に立つと思った。
だから、あまり意味のないことを書くことになるのでご勘弁を。
でも思ったんだけど、日記って意味のあること(=誰かの役に立つ)だけが内容ではないはずだ。
くだらないことをとめどなく書きたくなることだってある。
そもそも私のやっている文章ジャンルが純日記だ。
普通の文章とは目的が違う。
文章の基本は読者を意識することだとされる。
学校で習う作文が嫌いになるのは、先生という評価者である読者を内面化させてしまい、書かされている感が強くなるからだろう。
社会人になっても上司やお客様を意識して文章を書く。誰もあなたの内面なんかに用はない。
読者を意識しすぎると余計な緊張感を自分に強いてしまう。
だから、だんだんモヤモヤしてきて、自分の感情を鬱積させてしまう。
その点、日記はいい。
自分の感情をことばにして吐き出すことでスッキリするからだ。
そのとき、誰かを意識しすぎてはいけない。
自分の感情にただ素直に、素直に、優しく寄り添ってあげるだけでいい。
自分自身が自分の感情の聞き手になる感じだ。
それはもはや自己カウンセリングだ。
そう、私は純日記をやることで、自分の感情の自己カウンセリングをしているんだ。
読者を意識しすぎると、私はまた自分の感情を抑圧してしまう。
私はカッコつけだからだ。
ごめんなさい、今私は読者でるあなたのことを意識していない。
ただ私は、私の感情のことを聞いてあげている。
純日記をしている。