哲学は好きではないですか?
前回のブログで読者の存在が実感できたので、だからといってカッコつけるのも嫌なので、自分にやっぱり正直になってもっと自分の素性を明らかにして、仲間を見つけられたらいいなと思うようになった。
突然ですが、あなたは哲学が好きではないですか?
高校時代から「人間とは何か?」「どう生きるべきか?」「今の自分で本当にいいんだろうか?」「強くあるためには何をすべきだろう?」「本当の優しさってどういうことだろう?」といった抽象的な人生の悩みが頭に引っかかり出して、大学では法学部に入ったのだが、また大学受験と同じ暗記ものかよって全く面白くなく、親の反対を押し切って文学部に転部。
文学部に転部しようと思ったのは、高校時代のある国語の先生の授業がきっかけだった。
その先生はとても変わっていて、二日酔いと巨人が負けた日は自習にするような先生だった。
でも国語の実力は本物で、自分で小説を書いて文学賞を受賞して1000万円を獲得する先生だった。
とある授業の日、今日は自分が書いた詩を読んでみるからって、カバンから自分の詩集をおもむろに出して、急に読み出した。
25年近くも前の話だが、その光景は今でも鮮明に覚えている。
その先生が子どもについての自分の詩を朗読し始めると、教室はシーンと静まり返り先生の声がよく響いて、まるで音楽ホールでオーケストラを聞いているかのように、聴衆である生徒たちは静かに聞き入り、朗読が終わった瞬間、皆が一体感に包まれて拍手を送っていた。
この光景には驚いた。
進学校の知識押し込み型の退屈な授業とは打って変わって、先生が作った自分のことばだけでこんなにも人を魅了できるのかが不思議でしょうがなかった。
その経験が前段階としてあって、大学で文学部に転部した後の授業はとても刺激的なものばかりだった。
夏目漱石、芥川龍之介、三島由紀夫、大江健三郎、シェイクスピア、スティーブンソン、ブロンデ、ウルフ、メルヴィル、ホーソン、ヘミングウェイ、ギリシア悲劇、アメリカ映画・・・ありとあらゆる文学作品を読みまくって興奮した。
文学作品と並行して、その当時の大学の文学部では文学理論が流行っていた。
この文学理論が、自分のこころにグサリと突き刺さって、自分の心をわし掴みにした。
もともと数学が得意だった抽象的思考型の自分にとって、乱雑に溢れる文学作品をスッキリと説明しようとする文学理論は魅力的だった。
当時の文学理論はフランス現代思想をベースにしたもので、ポスト構造主義(ロラン・バルト、ジャック・デリダ、ジル・ドゥールズ、ジャック・ラカン、ミシェル・フーコー)が全盛の時代だった。
その当時の自分にとって、1960年代の構造主義までの文学理論は理解できるのだが、1970年代以降のポスト構造主義が全く理解できなかった。
これが悔しくてしょうがなくて、大学を出て社会人になっても文学理論というか現代思想を独学でやり続けた。
やっと、こういうことなのかもしれないってわかるような気がし始めたのが、30代後半だった。
現代思想にどっぷりハマっているうちに文学のことなんかサッパリ忘れて、ますます抽象的思考にハマるようになってしまい、いつの間にか哲学をやり出すようになっていた。
ソクラテス、プラトン、アリストテレス、デカルト、カント、マルクス、キルケゴール、ニーチェ、フロイト・・・
最近はドイツの哲学者であるヘーゲルにハマっていて、絶対という概念について考え続ける日々を送っている。
私の今回の話があなたをドン引きさせているのは、よーくわかります。
哲学なんかやっても人生の何の役にも立たない、金にもならない、抽象的概念のことなんかなんで考えているんだろうって、自分でもあまりうまく説明できないんですけど、その哲学に引っかかり続けている自分がいるんです。
今回の投稿はスルーして頂いて結構です。
もし自分以外にも哲学が好きな人がいたら、連絡もらえると嬉しいです。